第3話 書類は人柄を問わない
第3話 書類は人柄を問わない
朝の店で、店主は二つ折りの紙を開いた。
昨夜、金の代わりに持ち帰った支払約束だ。読み終えたところへ、今日一日だけ冒険者の仕事を手伝うことになった、と付け加える。
店主は紙から目を上げた。
「取り立てに行かせたよな」
「はい」
「どうして雇われてくる」
「そこは、アタシも途中から分からなくて」
言い訳としては、ひどい出来だった。
朝日がカウンターに長く差している。昨日のシチューの跡は綺麗に拭かれていたが、床の継ぎ目だけがまだ少し白かった。オレはその線を見ながら、ローブの前を握り直した。
帰ってしまえば済む話ではある。あの三人に金がないことと、オレが助けることは、本来別だ。
それなのに朝、靴を履いていた。
自分が頷いたことを、なかったことにするのは、どうも寝覚めが悪い。
「危ない仕事じゃないんだろうな」
「依頼は、これから選ぶそうです」
店主の眉が寄った。言ってから気づいたが、安心してもらえる材料が一つもない。
「戦う役にはしないって。店が駄目なら行かないとも、言いました」
「あいつらが店のことまで考えてくれると思うなよ」
「そこは、自分で言います」
店主はしばらくオレを見ていた。やがて勘定箱の脇へ紙を挟み、いつもの皿を出した。
「夕方までに戻れ。帰れないなら、人づてでも知らせろ。昼は何とかする」
「いいんですか」
「金を回収してこい。それと、出先で飯の話になったら店の名前を言え。冒険者は腹を空かせて帰ってくる」
パンが皿に載った。いつもより厚い、と思いかけ、比べるだけの朝を知らないことに気づく。
「食えるときに食っとけ」
その声で、昨日の皿を受け取った手の温かさが戻った。
「……ありがとうございます」
「礼は現金でいい」
オレはパンを噛んだ。三人の口癖を店まで持ち帰った覚えはないのだが。
*
待ち合わせの宿へ行くと、セラは玄関で女将に硬貨を渡していた。
六枚。昨夜、引き出しに残っていた全部だった。
「今夜の分ね。明日からは、また別だよ」
「承知しています」
女将が帳面へ線を引く。宿の一晩が、小さな金属音だけで買われていく。
ゴルドは玄関脇の山羊に、何かを語りかけていた。
「お前はいいな。居るだけで仕事になる」
「ゴルドさんも、支払いさえすれば、居ていただいて構いませんけど」
セラの声に、爺さんが山羊から離れた。
アルトは四人を数えた。指を使わずに数えてから、念のためという顔でもう一度見た。
「揃ったね」
「数えやすいでしょう。何しろ四人ですから」
「うん。そうなんだけど」
照れたように笑う。この人は、オレが来ない可能性も考えていたのだろう。
店主の許可を伝えると、セラは「では夕方まで」と手帳に書いた。こういうところは、きちんとしている。
街の中心へ向かう途中、辻の案内板に『ハイベル自治区』とあった。オレの住む街にも、ちゃんと名前があったらしい。
歩いてきた路地とは違って、大通りには石造りの建物が並んでいる。二階の窓から布団を叩く音。水売りの呼び声。壁沿いには、朝の仕事を待つ荷車が列を作っていた。
正面の大きな建物に、翼を広げた鷲が彫られていた。
灰鷲ギルド、ハイベル支部。
入り口で、鎧の男と籠を背負った老婆が譲り合っていた。男が三度も頭を下げた末、老婆が先に入る。剣より、籠からはみ出した葱の方が幅を取っていた。
冒険者の集まるところ、と聞いて、もう少し勇ましいものを想像していた。
中は、その想像よりずっと忙しかった。
荷の重さを言い争う男たち。受取証を探して懐をひっくり返す配達人。壁一面に貼られた紙を、爪先立ちで読む小柄な女。誰かが剣を鳴らすたび、受付から「床に傷をつけないでください」と飛んでくる。
討伐、護衛、井戸さらい、山羊の捜索。
依頼の種類を追っていた目が、掲示板の高いところで止まった。
魔王討伐。常設。達成者なし。
その隣には、古竜討伐。同じく常設、達成者なし。報酬の数字は、ほかの紙より一桁長かった。
どちらも紙の端が茶色い。古竜の欄の下には、誰かが別件の受取時間を鉛筆で書き足していた。
「……これ、ずっとあるんですか」
「私が来る前からね」
セラは足を止めなかった。
魔王も竜もいる。それが大問題なのかと思えば、その真下で男が「樽三つは聞いてない」と怒っている。
大きなことが遠くにあると、人は近くの樽から困るのかもしれない。
オレには、どちらにどれだけ驚けばいいのか、まだ分からなかった。
「次の方」
丸眼鏡の受付嬢が顔を上げた。胸の名札にはドリスとある。
セラが仮名簿を出すと、彼女は三人の顔を順番に見て、最後にオレを見た。
「四人目の方ですね」
「一日だけの予定です」
「加入と脱退は、それぞれ届け出が必要です。まず加入の方を」
入口には手続きがある。出口にもある。
何となく、嫌な仕組みだった。
用紙には名前、種族、職業、連絡先。読める文字で、読んでも困ることが並んでいる。
名前を書く。種族には人間。職業でペンを止めた。
酒場の接客係、と書こうかと思った。それなら、昨日から知っている仕事だ。
「職業は、遊び人でよろしいですか」
ドリスが確認した。
オレは頷いて、その通りに書いた。文字はすらすらつながるのに、書き終わったあとに紙を隠したくなる。
「問題ありません」
彼女は特に笑いもしなかった。
「珍しくないんですか」
「多くはありませんが、受け付けたことはありますので」
もっともらしい肩書きで安心する場所だと思っていた。意外にも、窓口で困るのは肩書きより、記入漏れらしい。
用紙の下には、レベルを書く欄があった。
オレはそこを指した。
「これ、分からない場合は」
「未診断、または不明とお書きください」
「測ってもらえるんですか」
「診断室で、別に予約を承ります。今はご本人の申告と、診断書のある方はその数値を記録します」
隣からゴルドが覗いた。
「俺も、そろそろ書き直すか」
「前回から診断を受けましたか」
「感じとしては上がっとる」
「では、そのまま自己申告欄です」
受付嬢はペン先も止めなかった。
酒場の男の三十と、爺さんの「感じ」は、同じ欄に入るらしい。
「不明でも、働けるんですね」
「依頼ごとの条件はあります。診断書が必要なものも。登録するだけでしたら、不明で結構です」
オレは小さく、不明、と書いた。
自分について正確に書けたのが、今のところその二文字なのは、少し情けない。
ドリスは次の紙を出した。
「それでは、絵姿と服装の記録を」
「服装?」
「本人確認用です。普段お仕事をされる際の装いでお願いします」
オレの手が、ローブを押さえた。
ドリスはその手を見てから、受付脇の衝立を示した。
「あちらで」
「……この中、職場の制服なんです」
「はい。職業に応じた正装として扱います」
「正装」
耳が二本ついているのに。
「三年前にも、似たような登録がございました」
その先人は、異議を申し立てなかったのだろうか。申し立てたうえで負けたのだとしたら、勝ち目は薄い。
衝立の内側には、小さな椅子と、絵筆を洗う水差しがあった。記録係の女が画板を起こす。
ローブを脱ぐと、身体が自然に肩を開いた。
「顎を少し引いて。そのまま」
仕事の顔を作っていることに気づき、慌てて口元を戻した。
「あ、笑ってくださって結構ですよ」
「いえ、笑うと売り込みまで始まりそうなので」
記録係が筆を止めて笑った。オレは笑うところではない顔のまま、耳まで描き終わるのを待った。
*
本人確認の札が乾く間に、賃金の話をした。
窓際の長椅子で、セラは手帳を開く。
「一日、二ピィ」
「昨日、それはスープ一杯だって言いましたよね」
「覚えてるわ」
「覚えてて同じ値段を出すんですか」
「交渉前に、自分で上げる理由はないもの」
オレは一度、口を閉じた。
怒っているだけでは、スープが冷めるだけだ。
今のオレに何ができるのかは、自分でもよく分からない。ただ、分かっていることが一つある。
「アタシがいないと、受けられない仕事があるんですよね」
「そうね」
「その仕事の報酬を、四人で分けてください」
セラの目が、手帳から上がった。
「四等分?」
「はい」
「戦う三人と、戦わない一人で?」
言い返しかけて、止まった。
セラの言っていることも、間違ってはいない。オレが剣を持てば、全員に危険が増えるだろう。
でも、それと、今日ここに来たことの値段は別だ。
「人数だけでいいと誘ったのは、そちらです。来たあとで、人数だけだから安いと言われても困ります」
ゴルドが小さく口笛を吹いた。
セラは、その音には反応しなかった。手帳の余白に何かを二行書き、消し、もう一度書く。
断られるかもしれない。
そうなったら、二枚より少し多ければいいと譲るか。いや、先に自分から値下げしたら、今の発言は何だったのだ。
机の下で両手を握った。掌が湿っている。身体が勝手に答えを出してくれる場面ばかりではないらしい。
「……報酬は四等分」
セラが言った。
「ただし、装備の消耗と治療費は、それぞれ本人の負担。あなたに掛かった分は、あなたの取り分から引く。それでどう」
「何にいくら使ったか、教えてください」
「もちろん」
「だったら、それで」
息を吐いたとき、ようやく肩が下がった。
勝ったのかどうかは、まだ分からない。それでも、黙って決められるよりはよかった。
「よく言ったのう。こいつは三歳で算盤、五歳で帳簿、七歳で取り立てだ」
「幼少期の思い出が、全部お金なんですけど」
「商家ですから」
セラが手帳を閉じた。
「家業は金貸し。今は僧侶よ」
オレは彼女の羽根ペンを見た。
「治療、できるんですか」
「できなかったら、さっきの契約は何だったの」
もっともだった。ただ、取り立ての方が本職に見える。
その感想は、次の依頼書を見て訂正できなくなった。
*
セラが選んだのは、山羊飼いの借金を回収する仕事だった。
債務者、バートン。借入額、モンメリー三枚。返済期限、超過。回収報酬、モンメリー二枚。
「借金が三枚で、取り立てる人に二枚払うんですか」
「担保の確認や運搬も含む依頼だから。ギルドはここ一件だけの収支で制度を作っていないの」
セラが説明している間、ドリスは古い催告状と、担保の一覧を揃えていた。
「まず事情を確認してください。牧草地の被害について、本人から届け出が出ています。回収方法の変更は、こちらへの照会が必要です」
いきなり山羊を全部連れてくればいいわけではない。それを聞いて少し安心した。
「時間は」
「街の外、徒歩で片道一刻ほどです。交渉がまとまれば、夕方までには戻れます」
アルトが地図へ顔を寄せた。通る橋と、井戸の位置を確かめている。ゴルドは地図の端を押さえたまま、欠伸をした。
登録の札が戻ってきた。
絵の中のオレは、実物より少し堂々としていた。その横に『ミア』『遊び人』。レベルの欄には、不明。
手で触ると、縁にまだ紙の毛羽が残っている。
ドリスが四人の連署を確認した。ゴルドが席を離れようとしたところで、セラが彼の印章を出す。
「ここ、押すわよ」
「おう」
「代理押印、本人確認済みですね」
ドリスは淡々と印を重ねた。ゴルドが何を読んだのかまでは、誰も確認しなかった。
「登録完了です。では、よいお仕事を」
受付を離れるとき、隣の窓口で男が自分のレベルについてまだ主張していた。
「だから、気合いの入った日なら四十はあるんだ」
「本日の気合いではなく、診断書の有無を伺っています」
オレは札の『不明』を親指でなぞった。
少なくとも、ここに嘘はない。
外へ出ると、街の音がいっぺんに近くなった。アルトが地図を畳み、セラが依頼書を鞄へ収める。オレは二人の後ろで立ち止まった。
「あの。一つ、確認していいですか」
三人が振り向く。
「山羊って、この格好を食べたりしませんよね」
ゴルドが、ローブから覗く耳を見た。
「草には見えんな」
アルトが、少し考えてから言った。
「でも、紙は食べることがあるので、登録札はしまった方が」
オレは慌てて札を内側へ押し込んだ。
書類の上では冒険者になれた。山羊に食われない限りは。