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第11話 勇者騒動の収束

第十一話 勇者騒動の収束

 ザック隊が発つ朝、街の門には思ったより人が集まっていた。

 朝もやが門の周りに薄く残っていて、朝日が差すたびに金色の粒になって舞い上がる。露店を並べ始めた商人たちも、手を止めてこちらを窺っていた。門の石はまだ夜の冷たさを抱えたままで、寄りかかった背中から体温をゆっくり奪っていく。首をすくめて、オレは息を白く吐いた。

 露店では、湯気の立つ鍋がひとつ、もう火にかけられている。朝いちばんの客を当て込んだ甘い匂いが、冷えた空気の底を這ってきた。見送りだろうと何だろうと、街のほうは商売の支度に忙しい。人が集まる場所には店を出す。それだけの、あっさりした理屈で朝が動いている。

 「見送りだなんて、律儀だな」ゴルドが欠伸交じりに言う。

 「見送りっていうか、野次馬でしょう、これ」

 オレは集まった顔ぶれを眺めた。心配そうな顔は少ない。興味本位の顔のほうがずっと多い。祭りの見世物を待つ時の、あのゆるんだ目つきだ。誰かの出発を、朝の余興くらいに思っている。

 門の前では、ザックが仁王立ちになっていた。朝日を背にした構図を、わざわざ選んで立っている。

 「――聞け、ハイベルの民よ!」

 声がよく通る。通りすぎて、近くにいた鳥が驚いて飛び立った。

 「我ら、勇者ザック一行は、これより峠の古竜を討ち、この街に伝わる常設の呪縛を解き放つ! 我らの帰還を、心して待つがいい!」

 拍手はまばらだった。三人分くらい。しかもその三人は、どう見ても義理で叩いている。

 「反応、薄いですね」オレは小声でリトに話しかけた。

 「いつものことだよ」リトは肩をすくめた。「街ってのは勇者の演説に慣れすぎてる。もう見世物としても、目新しさがないのさ」

 「大変ですね、勇者業も」

 「俺は取り巻きだから、まだ気楽さ。ザックのほうが病んでる。誰も本気にしてくれないのに、本気で名乗り続けなきゃいけないんだからな」

 装備は新品で、口上は長くて、鬱陶しいことこの上ない男だ。だが、誰も本気にしない称号を、それでも背負い続ける苦労となると、話は少し違ってくる。アルトが毎日抱えているものと、案外、地続きの場所にあるのだろう。そこまで考えて、オレは口の中で苦笑した。数日前まで、声のでかい迷惑な男、で片付けていた相手だ。人ひとりを片付けるのに、こっちはずいぶん雑な物差しを使っている。

 バルガが無言でザックの荷を最終確認していた。無駄のない手つきだった。水袋の紐を締め直し、非常食の位置を確かめ、剣帯の緩みを一つずつ潰していく。誰に頼まれたわけでもない。体が勝手に手順を追っている、という動きだった。

 「バルガさんは、心配じゃないんですか」

 「心配はしている」バルガは短く答えた。「だが、止めても聞かない男だ。だったら、せめて装備の不備だけは、なくしておく」

 それきり、バルガはまた紐に手を戻した。心配だと口にした手が、その心配をそのまま作業へ変えていく。オレはしばらく、その手つきを眺めていた。言葉より、指の運びのほうが饒舌だった。

 少し離れた場所で、アルトがザック一行をじっと見つめていた。

 「アルトさん、どうしました」

 「いえ、その……ちょっと、複雑な気持ちで」

 「複雑?」

 「僕、あの人のこと、嫌な人だと思ってました。今も、正直、少し思ってます」アルトは言葉を選びながら続けた。「でも、あの人も、たぶん、僕と同じで、名乗ることで自分を保ってるんだと思うと……何て言えばいいか」

 「他人事に思えない、みたいな」

 「はい、それです」

 オレは隣のアルトの横顔を見た。数日前まで、震えて謝ってばかりだった青年が、今は自分の言葉で話している。途中に「すみません」が挟まらない。ただ、それだけのことだった。

 ザックが一行の最後尾から、ふと振り返った。視線がアルトのところで止まる。

 「――お前」

 「は、はい」

 「勇者らしくない勇者だな、お前は」

 アルトは一瞬、身を固くした。だが、すぐに答えた。

 「はい。勇者らしくないと、思います。それでも、剣は捨てていません」

 ザックはしばらくアルトを見つめていた。それから、意外にも、小さく笑った。

 「――嫌いじゃないぞ、そういうの」

 その一言だけ残して、ザックは踵を返し、峠の方角へ歩き出した。バルガとリトが続く。

 三人が数歩進んだところで、オレは思わず声を張った。

 「勇者さん、帰りにうちの店、寄ってくださいね。武勇伝、聞きたい人がいっぱいいるので♪」

 接客の声だった。意識するより先に、喉が勝手にその高さを選んでいた。

 ザックが足を止めて振り返る。演説の時とは違う顔が、一瞬だけそこにあった。

 「……ああ。長い話になるぞ」

 それだけ言うと、今度こそ前を向いて歩き出した。誰も口にしなかった「帰ってくる前提」を、遊び人だけが投げてやれた。それだけのことが、妙に胸に残った。

 三人の後ろ姿が街道の先へ小さくなっていく。ザックの背中は相変わらず胸を張ったままだ。恐怖など知らない、という顔で堂々と。ただ、その足取りには、行きしなよりわずかに慎重な間があった。半歩ごとに、地面を確かめるような歩き方だった。

 群衆は、三人を見送るとあっさり日常へ戻っていった。潮が引く、というのとも違う。潮なら、引いたあとに濡れた砂くらいは残す。ここには何も残らなかった。露店の呼び込みがまた始まり、荷車が門をくぐっていく。さっきまで勇者の演説に向いていた顔が、もう干し肉の値段の話をしていた。

 人の熱というのは、どうしてこう速く冷めるのだろう。

 一つ、考える。この街は勇者を見慣れすぎて、感情の在庫を切らしているのかもしれない。名乗りを上げる男は季節ごとに現れて、そのたびに手を叩いていたら、手のひらがいくつあっても足りない。だから節約する。理にかなっている。だが、それにしては、さっきの拍手は義理でも三人分あった。在庫が尽きているなら、あの三人はどこから湧いたのか。

 二つ、考える。冷めたのではなく、最初から温まっていないのではないか。見物人たちは勇者が発つのを眺めに来たので、勇者を案じに来たわけではない。案じるには、相手を知らなすぎる。ザックの名を今朝はじめて聞いた者が、大半だろう。知らない男の生き死には、遠くの空模様と同じだ。気にはなるが、傘は差さない。

 そこまで並べて、オレは自分がずいぶん薄暗いことを考えているのに気づいた。見物に来た人間を薄情だと裁く筋合いは、こっちにもない。オレだって数日前まで、ザックを「声のでかい迷惑な客」の棚に放り込んでいた。今こうして門に立っているのは、たまたま同じ酒場で酒を注いだからにすぎない。人を案じられるかどうかは、たぶん善良さの問題ではなく、距離の問題だ。近ければ冷めず、遠ければ冷める。街はただ、その正直さを、行き交う背中で見せているだけだった。

 現に、立ち止まったままのオレの足も、そろそろ冷えて痛み始めていた。門の石から這い上がる冷たさが、踵から膝の裏まで届いている。それでも動く気になれなかったのは、あの三人を見送る誰かが、一人くらい最後まで残っていてもいい、と思ったからだ。理屈ではない。接客で覚えた癖のようなものだった。帰る客の背中は、見えなくなるまで見送る。そのほうが、次に来た時、扉の開き方が少しだけ違う。……もっとも、峠へ向かう背中に「次」があるのかどうかは、オレの領分の外だったが。

 オレたちも酒場へ戻る道を歩き出した。その途中、ゴルドが低く呟いた。

 「あいつら、帰ってこられるのかね」

 声に、いつもの陽気さがなかった。

 「え、ゴルドさん、心配してるんですか」

 「心配してるっていうか……」ゴルドは言葉を探すように黙った。「峠のあの竜は、噂ほど生易しい相手じゃない。俺はそう睨んでる」

 「噂は、みんなバラバラでしたけど」

 「バラバラだからこそ、逆に信用できる部分がある。誰も、正確に近づけてないってことだからな」

 ゴルドはそこで口をつぐんだ。眉の上の古傷を親指の腹で一度だけ撫で、それきり黙る。竜、という一語を口にするたび、この男の言葉は妙な角度で遠くを掠めていく。

 「ゴルドさん、もしかして――」

 「さあな」ゴルドはすぐ、いつもの顔に戻した。「俺は、ただの元魔法使いだ。竜の専門家じゃない」

 切り替えが早い。追及したところで、この爺さんは、はぐらかす術だけは達人だ。オレは口をつぐんだ。

 セラが帳簿を片手に、涼しい顔で言った。

 「心配してても、依頼はこなさなきゃ収入にならないわ。今日も一件、掲示板から選ぶわよ」

 「セラさん、切り替え早すぎません?」

 「切り替えが早いのは、私の長所よ」

 「せめて、ザックさんたちの無事、少しくらい祈らないんですか」

 「祈って、何か変わる?」

 「変わらないですけど、気持ちの問題です」

 「気持ちの問題に、私の帳簿は関与しない」

 相変わらずの人だった。ただ、帳簿を閉じる仕草に、いつもより半拍だけ長い間があった。

 ゴルドが口を挟んだ。

 「なあセラ、まとめ払いの割引とか、ないのか」

 「割引?」セラの片眉が上がる。「利息をつけなかっただけ感謝してほしいわね。未遂は半額、既遂は全額、常習は加算。うちの料率は良心的よ」

 「いつの間に、そんな細かい規定ができたんだ」

 「あんたが増やしたのよ、実績で」

 ゴルドが「ぐぬ」と唸る。傍で聞いていて、オレは妙なことに気づいた。罰金がいつの間にか、ただの罰から、ちゃんとした制度に育っている。罰は怒りから生まれるが、制度は諦めから生まれる。この一行がゴルドの手癖に腹を立てるのをやめて、料金表を作ることにした日が、どこかにあったはずだ。誰も覚えていないだけで。

 隣を歩いていたアルトが、遠慮がちに言った。

 「ミアさんは、ああいう時に、ちゃんと言葉が出るんですね。僕は、頑張ってください、すら言えませんでした」

 「アタシのは営業ですよ」

 「営業でも」アルトは少しだけ笑った。「あの人、少し嬉しそうでした」

 その言葉に、オレはうまく返せなかった。営業の一言が誰かに効くことは、たまにある。だが、効いたところで、峠の竜が手加減してくれるわけでもない。オレにできたのは、結局、扉を一枚、開けておくことだけだ。帰ってきたら入れるように、という、それだけの扉を。

 酒場へ戻る道すがら、オレは峠のある方角をもう一度振り返った。街道の先は山々の稜線に霞んで、もう何も見えない。朝もやはいつの間にか晴れて、代わりに、うっすらとした雲が稜線に張り付いていた。

 帰ってこられるのか。

 その問いに答えを持つ者は、まだ誰もいない。街はいつもと変わらない朝の顔をしている。首の裏を朝日が温め始めて、さっき門の石が奪った体温を、少しずつ返してくれた。世界は、峠へ消えた三人のことなど知らない顔で、今日も同じ速度で回っている。それが薄情なのか、そうやって回り続けることのほうが救いなのか、オレには決めきれない。ただ、その速度に、こっちが半歩だけ乗り遅れている感触だけが残った。

 路地へ折れると、パンを焼く匂いが横合いから流れてきた。峠の話も竜の話も、その匂いの前ではふいに遠くなる。オレは匂いのするほう、皿洗いの待つ店のほうへ、足を向けた。

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